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主題解説

2024年度 主題 

『今を豊かに生きる』 

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 

主題聖句 
マタイによる福音書6章34節

 ※聖句は主題聖句に示された箇所の少し前の節から(マタイによる福音書6章25~34節)お読みください。

 この聖書箇所は多くの人々が心の支えとしてきました。主イエスが「思い悩むな」と繰り返し語りかけてくださり、安心する気持ちになります。空の鳥や、野に咲く花など、自然の生きものを例にして語られるのも、この聖書箇所に親しみやすさを加えます。

 「だから、明日のことまで思い悩むな」の「明日」という言葉は希望をもつ言葉である反面、場合によっては私たちに不安を与える言葉になることがあります。もし明日しなければならないことが沢山あったらどうでしょう。「午前中はこれを、午後からはあれを、夕方にこれを、夜にもあれをしなければならない」と予定がぎっしりだったとしたら、「明日」は自分にとって、重苦しい言葉と感じられるのではないでしょうか。

 その「思い悩み」の根底には、人は自らの努力によって、明日の生を確保しえるはずだという「思い」があります。ところが、その思いには、今日の自分を謙虚に受け取ることを忘れてしまう「おそれ」があります。既に与えられている「命」「体」を感謝するより、その維持のための手段である「食べ物」「衣服」への心配に心を奪われかねないのです。

 このように、まだ見ぬ明日の苦労に押し潰されそうになっている私たちに向かって主イエスは「明日のことまで思い悩むな」と語りかけてくださいます。もちろん、「明日」のことを考えること、将来に備えることは大切です。この主イエスの言葉は「明日のことは一切考える必要はなく、無計画でよい」と言っているのではありません。私たちにとって「明日」と同様に「今日」も大切です。「今日」という日なしに「明日」が訪れることはありません。私たちが「明日」のことばかり考え悩んでいるとき、忘れてしまっているのは「今日」の大切さです。

 さらに「今日」を見つめてみると、それもまたあるものの積み重ねであるということに気付きます。それは「今この瞬間」です。今という瞬間の連続が、「今日」という日を形作っています。

 私たちが「明日」のことばかりを考えているとき、最も見失ってしまっているのは、「今」という瞬間です。「心ここにあらず」に陥ってしまうことです。逆説的ですが、先のことを考えて不安になっている最も大きな要因として、「今・ここ」を失っている、ということがあります。

 主イエスの言葉は「今・ここ」にいる私たちに向けられているものです。「明日」の私たちではなく、「昨日」の私たちでもありません。私たちに伝えてくださるのは「今この瞬間のあなたを神さまはそのまま愛してくださっている」ということです。

 今この瞬間に自分に向けられている神さまの愛を感じとるとき、神さまの支えに信頼することができるとき、私たちの心は、安心の中で次の一歩を踏み出すことができるようになってゆきます。「自力から他力」への転換です。そのときにこの世で生きることは単に苦しみや諦めではなくなります。しかし、私たちは「今・ここ」を忘れてしまいます。そのときは何度でも自分に思い出させてあげればよいのです。「今・ここにいる、そのままの私を、神さまは大切に思ってくださっている、励ましてくださっている」という真実を。そのことを思い出すのが子どもと一緒に守る礼拝のときであり、神さまに祈るときです。

 キリスト教保育連盟関東部会に加盟する各園の教職員が、今この瞬間に注がれている神さまの愛を思い起こすことができますように。今を、今日を、そして、一日一日を、聖霊に導かれて生き生きと積み重ねていくことができますように、と祈り願います。

 2024年度、私たちは、主イエスの言葉に信頼し、神さまに全てをお委ねして、「今を豊かに生きる」歩みにしてまいりましょう。

キリスト教保育連盟関東部会 

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